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2011年 05月 22日
![]() ところでアンコールワット含むアンコール遺跡群とは? 1994年に世界遺産に登録された、アンコールワット周辺の約30あまりの遺跡のことで、これら全てをひっくるめて登録されています。登録された1994年から2004年までは、危機遺産にも登録されていました。 9~14世紀に興ったクメール王朝。この時代のクメール美術は、後の東南アジアに大きく影響を与えたと言われるもの。 このクメール美術が色濃く残った遺跡群がアンコールワット遺跡群です。 カンボジアを調べてみると、度々でてくる「クメール」という言葉。 これは↑のクメール王朝に由来しているのは間違いないのですが、今の時代にも生きている言葉のようです。 例えば... 「クメール人」 民族を表す時に使われるようですが、人口の約9割をクメール人が占めるカンボジアにおいては、カンボジア人とほぼイコールの意味みたいです。 「クメール語」 クメール人が占めるカンボジアでは、公用語は必然、彼らが話すクメール語です。ほとんどカンボジア語とイコールですね。 日本を出発して4日目にして、ようやくアンコール遺跡群と対面です。 まずは上の写真のベンメリアから。 全容がわかる写真はないので、入口付近のもので失礼。 この遺跡は「東のアンコールワット」と言われる、アンコールワットと似ている造りだそうで。 これは後世になって言われていることで、実際にはアンコールワットよりも20年ほど早い、11世紀末~12世紀初めに造られたそうです。 でもね、あまりにも壊れていて... 2004年まで危機遺産にも登録されていたと書きましたが、アンコールワット遺跡群は世界的に有意義な遺産なので、世界各国が援助・支援を行って(地雷の撤去なんかも含む)、これから巡る遺跡は随分修復されていました。 しかし、ここベンメリアは修復度合いがあまり高くなく... 一応、それなりに手は入ったようですけどね。 ガイド曰く、自然風化以外に遺跡が壊れた理由は大きく3つ。 一つ目。 カンボジア内戦。内戦時には、要塞として使われていた遺跡もあるらしく、そりゃぁ戦場となってしまっては壊れますよね。 二つ目。 内戦中、内戦後に、高い値がつく古美術として盗掘された。取り戻せたものは遺跡に戻したり、シェムリアップやプノンペンにある美術館に納められています。 三つ目。 これが面白い。カンボジア人の好物、カエル。このカエルが遺跡の隙間に入り込み、入り込んだカエルを捕まえるのに、遺跡の石をどかしてしまった。 ![]() 土の無い所にもどんどん浸食していって、浸食した場所でぐんぐん育つ。 石の隙間を広げて近い将来破壊する、恐ろしい樹です。 ですが、この浸食された遺跡を目当てに観光客が来るので、遺跡を守る為とは言え、全てを伐採せずにある程度は残しているのだそうです。 内戦からの復興、とりわけ外貨獲得の屋台骨はアンコール遺跡群なので、その遺跡群を印象付けるガジュマルの樹は、無くてはならないものなのです。 ![]() ホントにあちこちにいます(インド程ではないけど)。 あちこちにいますが、野良ではなくて飼われています。 ほら、ちゃんと首に何か巻きつけてるでしょ?この牛はベンメリアの敷地内にいました。 そして、ベンメリアを巡った、この日の気温。 40度近くあったのでは??写真では伝わらないのが残念。 気温だけでなく湿度も90%以上だったかも。 シェムリッアップの街から、クルマで約1時間半。 そして歩きまわること1時間半くらい? たったこれだけの間に、半年分の汗が出ました。 ベンメリアは、遺跡のかなり上まで登れ、実は高低差がかなりあります。 写真のように、そこいら中に破壊された石が転がっていて、しかもかなり大きく大量なので、こちらから向こう側へ行くだけでも、ヒルクライムのように登ったり下りたりを繰り返します。 汗が出るから水を飲む。 水を飲んだら汗になる。 この繰り返しに、後半は写真を撮るのがかなり面倒になりました。 ゴールデンウィーク中ということもあり、かなりの日本人が、そして高齢の方のグループも少なくありませんでしたが、皆さま大丈夫だったのでしょうか?? 出国の時、日本は確か肌寒かったと記憶しています。 そんな日本から突然の炎天下。 かなりのギャップで体調を崩さなかったのでしょうか?? そんな体育会系クラブ活動のような遺跡巡りから、いったんホテルに戻り、夕暮れ時はトンレサップ湖へ。このトンレサップ湖についてはこの次に。 |
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